井伊直弼(いい なおすけ)は、幕末の譜代大名である。近江彦根藩の第15代藩主。幕末期の江戸幕府にて大老を務め、日米修好通商条約に調印し、日本の開国近代化を断行した。また、強権をもって国内の反対勢力を粛清した、安政の大獄で有名な人物である。

 

井伊は若い頃、家督を継げない次男で当主の兄にも嫌われ、将来に全く希望が持てなかった。悔し紛れに、兄の妾を自分の愛人にして国学ばかり勉強していた。

こんな時、出会ったのが放浪の国学者、長野主膳(ながの しゅぜん)である。井伊長野を国学の師と仰ぎ、日陰の身の良き相談相手になってもらった。二人は親密な師弟関係だった。

しかし、井伊の兄が急死し、井伊直弼は藩主になり、大老になった。「どうせ、親父の跡なんか継げないのだから、メチャクチャに遊んでやれ」と、放蕩の限りを尽くしていた息子に、突如として社長の椅子が転がり込んできたようなものだ。あまりに突然の出来事だったので、身辺の整理が必要になる。まず、死んだ兄の妾をどうするか、井伊は非常に困惑した。

同棲していた女が、もし性悪なら「あたしをどうしてくれるのよ? 社長夫人にしてくれるんでしょうね?」と迫るだろう。

井伊の苦悩を知った長野「女を私にください」と言った。井伊は驚き、さすがに躊躇した。しかし、長野は強引に女を引き受けたのだ。そして女に「余計なことを口外しないように」と釘を刺したのである。井伊「恩に着る」長野の手を押し頂いた。

 

井伊に課せられた責務は「米国との開国条約」を天皇に承認してもらうことと、次の将軍を誰にするかを決めるということだった。アンチ井伊派は、当然、この二つとも絶対反対である。井伊はこの勢力と闘わなければならない。

それには敵方の誰と誰がどのようなことをしているのか、綿密な調査を行い、これに鉄槌を下さなければならない。しかし、そんな諜報活動に組織人は使えない。組織人を使えば必ず相手方に動きを悟られる。しかも、ごうごうたる非難が起きてしまうだろう。

「極めて優秀な非組織人」が必要だ。考えあぐねて井伊は、結局自分の師である長野しかいない、と判断した。そこで彼に事情を話し「お願いします」と頼んだのだ。

長野はこれに快諾した井伊「世の憎しみを一身に受け、殺されるかもしれません」言った。長野「承知しております。士は己を知る者の為に死にます。ご心配なく」と、答え、京都に行った。

そして長野は、アンチ井伊派を徹底的に調べ上げ、作成したブラックリストを井伊に渡した井伊はこのリストを元に「安政の大獄」を展開したのだ。

長野は後に、井伊家の勤皇派によって斬首刑に処された。井伊「桜田門外の変」にて暗殺されたのだった。

 

トップに特殊な事情がある場合、どうしても「スケープゴート」を設定しなければならないことがある。具体的に言うと「どうしても泥をかぶってもらう人間が必要」な場合があるということだ。つまり、目的達成の為には「納得ずくで犠牲者になる」という羊が必要なのだ。

これを組織人に求めるのはとても難しい。トップの連続性のある経営の過程で、責任を全て負わされ、将来の一切を棒に振るなどという覚悟はそうそう簡単にできるものではない。特に組織の者というのは仕事において「生き甲斐の充足」欲求がある。それを途中で絶たれるのは非常に辛いことだ。

そうなってくると、こういう役目を引き受けてもらうのは「非組織人」になる。酷な言い方をすれば「使い捨てられることを承知の上でその役に徹する仕事人」が必要になってくる。

この役目を自ら引き受けたのが長野修繕であった。当然、スケープゴートを設定するからにはトップ自身も決死の覚悟が要る長野に頼んだ井伊も、自分も殺されることは解っていたのだろう。

 

現在の日本社会では正規雇用の社員と、非正規雇用の社員の格差が問題になっている。組織のトップとしては非正規雇用の社員の方が切り捨てやすいし、こうしたスケープゴートにしやすい。しかし、井伊直弼のように自らも決死の覚悟を決めているトップというのはどれほど存在するのだろうか

単に「切り捨てやすい」という安直な理由で非正規雇用を行っている会社がほとんどであろう。特に、グローバル化が急速に進んでいる日本では、外国人労働者の数が激増している。極端な少子高齢化も一因だろうが、安定して働き甲斐のある社会にするためにはもっと踏み込んだ議論が必要なのではないだろうか。