藤田東湖(ふじた とうこ)と言えば、幕末の日本の青年軍を狂喜させた大変な政治的扇動者だった。いわゆる尊皇攘夷志士は、必ず東湖の著書を読んでいた。

彼は烈公と呼ばれた水戸藩主徳川斉昭の片腕として、参謀としての才覚を発揮したが、出身が元々古着屋だったので、格式を重んじる武士達は、必ずしも心服しなかった。

それどころか、いつも東湖の足を引っ張り続けた。他人の足を引っ張り、引きずり下ろしたところで、相対的に自分の地位が上昇するわけでもないのだが、とにかく上ばかり見ているから、組織には決まってこういう人間群がいる。気弱な「小人」の群れである。

 

東湖の場合は、東湖自身だけではなく、友人もやられた。今井惟典(いまい これすけ)という人物で、側用人だった東湖の推薦で参政(常務級)になった。しかし、剛直な性格で歯に衣着せぬ物言いで、特に執政(副社長・専務級)の非を容赦なく責め立てたので、重役達は揃って顔をしかめていた。今井の言うことは正論だけに、面と向かって反論できず、それがますます反感を買った。

皆、なんとか引きずり下ろしてやりたいと、陰湿な報復心を燃やしている。しかし、重役達が露骨にそんなことを行うわけには行かない。気に食わない奴を聞きずり下ろす効果的な方法は、スキャンダルだ。それも事実か嘘かはどうでも良い。あること、ないことを言い触らすのだ。

重役達は腹心の小人達を集めて「今井の評判を落とせ」と命じた。たちまち水戸城内には今井の悪評が溢れた。重役達の思う壷である。

 

ここで重役達は今井の悪評を理由に徳川斉昭今井の解任を迫った斉昭は、重役達の強い圧力に押され、、渋々と「しばらく参政の職を解き、寺社奉行にでもしよう」と人事発令を行ったのである。

この人事はたちまち漏れ、正式な発令前から藩内に知れ渡った。聞いた藤田東湖は激怒した。血相を変えて斉昭の元へ異議を唱えに行ったのである。
しかし、斉昭の考えは変わらなかった。「ひどく評判が悪い」それだけで今回の人事は正しい、と。
更に斉昭は続けた。「藤田、組織というものは人間で編成されている。その多くは小人だ。神や仏の世界ではない。私はトップとして人間の言うことを重視する。」
藤田は言う。小人に屈するということですか?
斉昭「そうではない。真剣に受け止めるということだ。第一、小人達につけ込まれたということなら、今井にも隙があったということだ。」斉昭の目は悲しそうだった。

そこでようやく東湖斉昭の言わんとすることがよく分かったのである。

 

正義派は自分が正しいと思っているからものの考え方が粗雑だ。正しいことをしているという思い上がりがあるので細かいことに気を遣わない。
しかし、小人はいつもやましさで緊張しているのでどんなに些細なことでも粗雑にしない。粗雑な神経緻密な神経では、緻密な神経が勝つのは当然だ。
それと、小人狩りをすると言っても組織の大部分が小人で占められている以上、叶わぬ戦いだ。

このように考えた東湖はやり方を変えた。小人と戦わず、彼らと人として向き合い、融合したのだ。そして組織内での東湖の評判は急上昇した。
組織というものは、良い評判悪い評判も、とにかく「評判の製造工場」は常に小人達が支配している

このことを管理職は心に銘記すべきだ。もちろん、小人達におもねったりお世辞を使うことではない。

あくまで「融合」であり、迎合ではないのだ

 

私も若い頃は正論を振りかざすタイプだったが、中間管理職になったあたりから変わった。自分の意見を主張するよりも先に、周囲の声に耳を傾けるようになり、寡黙であまり意見を述べない者からも上手く、その本音を聞き出すことが出来るようになった。

パレートの法則にあるとおり、組織全体の2割程の要人が大部分の利益をもたらしており、組織というのは能力の高い者達ばかりで構成されているわけではない。むしろ、その逆なのである。

組織の中で上手く自分の仕事を遂行するためには、敢えて無能な者の力を借りる必要がある場合も多々あることを忘れないようにしたい。