現在のような激動期の組織は、下記のような三種類の型の複合体とならざるを得ない。
A.破壊(時代に適応しない部分を壊し、捨てる)
B.創造(時代に適応した型をつくる)
C.維持(時代の変化に柔軟に適応し、安定化を図る)
この三種類の型のリーダーとして戦国武将を例えるならば、Aは織田信長、Bは豊臣秀吉、Cは徳川家康、である。
現在でも、大なり小なり組織である限りは、必ずこの三種類のどれかであり、あるいは複合型であるはずだ。
複合型というのはセクションごとにその責務(機能)が異なるということだ。具体的に例えると、総務や人事、経理などは概してCの「維持・安定」型であり、一部にA(破壊)やB(創造)の部門を抱えるという事になる。
企画や生産などのセクションは、B型(創造)を主軸にしながら、そのためのA型(破壊)の機能を持つということだろう。
相対的に見て、Aの「破壊」というセクションが一番難しい。特にこのリーダーは難しい。なぜならば、どんなに時代を先行している組織であっても「古い部分」というのは存在するからだ。そして、この「古い部分」は、壊されたり捨てられたりすることに対して徹底的に反抗する。
組織の中で、要らなくなった仕事をしている人間は、逆にそのセクションにしがみつき、人員と予算を要求する。そして、その要求を認めてくれるのが良い経営者・上役だと考えるのだ。
多くの組織経営者も「いい顔」をしようと思って、胸の中ではそう思っていないのに、このような「不要となった仕事の死守と増大」に死力を尽くすことがある。人間の社会だから、そういうリーダーシップのあり方もあるのかも知れないが、組織にとってはマイナスであり、顧客のニーズから考えれば、明らかに時代に逆行することなのだ。
こういう弊害を防ぐ為に、織田信長はブレーンに在来の家臣を使わず、よそ者である豊臣秀吉と明智光秀を登用した。
また、城(本社)を次々と移した。名古屋 → 清洲 → 小牧 → 犬山 → 岐阜 → 安土へ、と居城を次々と移動したのである。
これは単に本社の引っ越しをした、ということではなく、それによって「社員に流動精神を持たせる」ということが目的だった。つまり、古いものに、いつまでもしがみつきがちな家臣の意識改革を狙ったのだ。
本社を移すことでよって、生活の安定から来る「仕事に対する緊張感の喪失」を戒めたのである。
現代日本では他国ではあまり見受けられない「終身雇用制度」というのが主流だ。もちろん、これは正規雇用の場合の話だが、現在の激動期ではその正規雇用の社員でさえ、いつクビになるか分からない。なぜなら、企業は激動期を乗り切る為に必死になって組織の改革を行っているからだ。改革には必ず「破壊」という事業撤退や人員削減が伴う。
これは社会人として、常に社会と会社の中の流れを観察し、自分自身のあり方というものを考える必要があるということだ。言われた仕事をこなすだけでは、いずれリストラの憂き目に遭うことだろう。
流動精神とは、必ずしも会社内に留まった話ではない。場合によっては自ら会社を捨て、別の生き方を模索することも忘れてはならない。