戦国時代の代名詞とも言える「下克上」は、なにも無論理・無根拠に行われていたわけではない。歴とした根拠があった。
それは孟子の「禅譲(ぜんじょう)・放伐(ほうばつ)」の思想である。この意味は、
- 「禅譲」は君主が徳の高い人物に帝位を譲ること
- 「放伐」は悪逆で帝位にふさわしくない君主を有徳の人物が討伐すること
である。
上に立つ者にとって大変に都合の悪い思想である。だから孟子の本は長い間、日本に持ち込まれなかった。
「孟子の本を積んだ船は、必ず玄界灘で沈む」とまで言われたくらいである。
しかし、戦国大名たちはこの孟子の論に飛びついた。なぜなら下克上が正当化されるからだ。
三好、松永、織田、明智、豊臣、徳川など、一度は天下を取った者は、すべてこの「放伐」の思想で理論武装している。「ふさわしくない君主を討伐した」のだという自己主張である。
現代の日本の社会にはこのような考えはまったく影を潜めている。上ばかり見て、おべっかを使う管理者が多いからだ。そしてそういうおべっか使いに、つい耳を傾けてしまうトップも多いからである。ゴルフ人事、麻雀人事など、日本以外にはない。嘆かわしいことこの上ないのだ。
その点では、乱世の武将はきちんとけじめをつけていたと言えるだろう。
それともう一つ、組織の衰亡が始まっているかどうかを知るサインがある。
- トップの周辺に茶坊主が蔓延り、真にその組織のことを考えて諫言する者が妨げられるようになること
- 社内全体に「社内評論家」が増えること。社内評論家とは、地道な仕事を避け、能書きばかり垂れている人間のこと
こういう社員が増え始めたら、その企業は既に衰亡への道を歩んでいる、と見て良い。
乱世の武将たちは、このことに最も気を遣った。そういう事にならないようにいつも緊張していた。
だから、そういう腐食の兆しが見えたとき、間髪を入れずにその芽を摘み、根を絶ったのである。
現代も激動期であり、それは戦国時代の乱世と重なるところが多い。政権がどうの、という話ではなく、社会の有様が大きく変化している真っ最中なのだ。これこそ、乱世と言わずして何であろうか。
今日の経営者や管理職、中間管理職、そして平社員に至るまで、今一度、戦国武将のやり方、生き様を学ぶ必要があると私は考えるのだ。
歴史はくり返す、という言葉がある。私は学生時代、日本史は苦手だったが、米国へ行ってから日本史をもう一度独学で勉強した。現地で日本の歴史について聞かれることが多かったのが契機だったのだが、結果として、自分の仕事のやり方に大いに参考になった。
歴史上の人物には必ず虚像が伴う。史実に念頭を置き、実像を追跡してみることをお薦めしたい。