一般に呼ばれている「忠臣蔵」とは、江戸時代元禄期に起きた「赤穂事件」を基にした創作作品である。従って、年末になると必ずテレビ番組でドラマなどの特番が行われるが、そのほとんどは史実よりも脚色に重点を置いたものとなっている。

 

大石内蔵助は、はじめから主人の浅野内匠頭の仇を討つ気があったわけではない。家が御取り潰しにならず、浅野内匠頭の跡を誰かが継いで、家臣一同が今まで通り城勤めができ、給与も貰えるならば、吉良上野介を殺害する必要は無かったのだ。

第一、この事件は仮に吉良の意地悪が原因だったとしても、浅野の方から一方的に吉良に斬りつけたもので、吉良は脇差しに手をかけようともしなかったのだ。しかも、逃げる吉良浅野は追いかけ、後ろからもう一度斬りつけている。これは喧嘩ではなく、れっきとした「傷害事件」である

浅野内匠頭が切腹をさせられたのは「江戸城中では、絶対に刀を抜いてはいけない」という掟に違反した為である。しかも、幕府の権威づけの為に将軍綱吉が重視していた朝廷との儀式の最中に城中での刃傷沙汰だったので、浅野内匠頭が即日切腹を命じられたのは当然のことなのだ。

だから赤穂浪士吉良を討ったのは「逆恨み」に他ならない。そして、もし、彼らが失業して困窮することがなかったら、果たして仇討ちという名目の報復を行ったのかどうか疑問なのだ。

 

では、なぜ47は、吉良邸に討ち入ったのだろうか? その理由は世論という圧力ある。当時の無責任な世論が煽り立てたのだ。
現代で言うなら、事件を起こした有名人をマスコミが追いかけ回し、それをテレビで垂れ流し、週刊誌ではゴシップとしてとり上げ、大衆が食い入るようにして見て世間話のネタにするようなものである。

元禄時代は徳川政権に入っての高度経済成長期だった。戦も無く、世は太平だ。戦国時代のような緊張感は微塵も無く、だらけたムードが漂う。贅沢な暮らし、それでいて目標の喪失。そして空前の日本史ブーム。学者の熊沢蕃山(くまざわ ばんざん)荻生徂徠(おぎゅう そらい)は、「武士よ、土に帰れ」と叫ぶ。

関ヶ原の合戦からちょうど100年島原の乱から60年由比正雪(ゆい しょうせつ)の騒乱から50年、といったところである。日本中が平和ボケして退屈していたのも無理はない。そろそろ何か話題になるような事件が欲しい時期だった。

浅野内匠頭傷害事件はその格好のターゲットにされたのだ。

 

当時の幕府民衆の感覚は大きく異なっていた。この頃の喧嘩は両成敗というのが掟である。幕府「傷害事件」として扱ったが、民衆の感覚はそうではなかった。「喧嘩は両成敗」だろう、というのだ。

それなのに、浅野内匠頭は切腹、家は御取り潰し、家臣は失業という憂き目に遭い、吉良上野介にはなんのお咎めもない。それどころか将軍綱吉から見舞いの言葉まで頂いている。一方的すぎる、という感覚が大衆の間に沸き起こった

そこで、太平の世に飽き飽きしている人間たちが、この一方的な処置に対して勝手な世論を作った。それも、幕府に対してではなく、処分を受けた浅野の遺臣に対してだ。

「このまま黙って引き下がるのか? 主人の仇は討たないのか?」という問いかけだ。

赤穂浪士を闘技場に引きずり出して闘わせようとする、残酷で無責任な大衆の作為的な世論だ。しかし、作為的であるにせよ、赤穂浪士の誰かがこの世論に応えざるを得なかった。その頂点にいたのが城代家老大石内蔵助だったのだ。

大石にとっては、甚だ迷惑な話であったことだろう。彼の当初の方針は下記の2点だった。

  • 浅野家の存続(お家再興)
  • それが駄目なら籠城

これは、言わば「守り」の姿勢で、吉良殺害しようなどとは考えていなかったのだ。

「武士道の精華」とか「武士の鑑」などというものは結果論であって、浪士の困窮極まる実態は実に生々しい。彼らには「仇討ちを契機としてどこかの大名が召し抱えてくれるだろう」という淡い期待もあったのかも知れない。

そして、この時点では浪士たちもまさか「切腹という刑罰」が下されるとは思っていなかった。幕府も褒めてくれるだろうと甘い考えを抱いていたのだ。

事実、討ち入り後の浪士の処分は助命説がかなり有力だったが、結局「武士よ、土に帰れ」の論者、荻生徂徠の主張で全員切腹になった。「仇討ち」というのは親や兄などの目上の親族に対して行うものであり、主君の仇を討つというのは「仇討ち」として認められなかったのである

世間は、この悲劇的決着に、更に浪士に同情し、讃えた。浪士の墓には、現在でも香華が絶えない。しかし、46士(討ち入り後、1名が行方不明になっている)が全員納得して死んでいったかどうかは、今や知る由も無い。

 

熱狂的な世論という空気(ムード)の中では、冷静で客観的な判断はとても難しい。インターネットが普及した現在では、ネット世論なる新しい空気も生まれている。しかし、熱狂的な空気というのは誰かの一言が元になり、大衆がそれに動かされ、圧迫感あるものへと変化していくものだ。しかもそのスピードは津波のように極めて速い

部下を持つ管理職やトップの責務とは、こうしたものに流されないようにし、冷静で的確な判断をすることも重要なのである。