岡山藩主池田光政は、新太郎少将と呼ばれる名君だった。特に、部下の人事については徹底的に公正だったので、コネを使っての情実人事は全く入り込む余地が無かった。 


光政
には、お六という娘がいたが、このお六に乳兄妹がいた。彼は青年になるとしきりに「いいお役に就いて、光政公にお仕えしたい」という希望を漏らした。お六にも頼んだ。

お六は仲介をし、父である光政に頼んだが逆効果だった。娘に頼まれたからには彼を出世させることはできない、それは情実人事になってしまうからだ、と断られてしまった。

お六はありのままに乳兄妹に伝えた。しかし、彼は納得がいかない。そこで今度は上役の一人に斡旋を頼んだ。上役は「任せろ」と気軽に約束をしてしまった。お六断られた事実を知らないから、「乳兄妹なら殿も特例として考えてくれるだろう」と踏んだのである。同時に、殿のご息女の乳兄妹に恩を売っておけば、いずれは自分の立身出世にも役立つだろうと打算したのである。

もちろん、この上役の上申も即座に却下された。この上役は大風呂敷を広げてしまったので弱り切った。そして乳兄妹には嘘をついたのである。「殿は承諾してくれた。しかし、もう少し時期を待てと。

乳兄妹は本気にし、希望を持った。そして上役に莫大な贈り物をした。若者の希望を嘘で繕う日々が始まった。
だが、当然、栄転の話は来ない。折に触れて上役に自分の人事異動に関して上役に尋ねるが、上役は曖昧な答えしかできない。

若者は、しばしば上役に高価な贈り物をし、その上役のためならなんでもやる、という程に健気に働いた

何年か過ぎ、若者と乳兄妹だったお六が他界した。若者は光政に呼び出され、人事異動を言い渡された。それは正に若者が願っていた栄転であった。

もちろん、若者が出世できたのは、お六が亡くなってコネが消えたからだ。同時に、上役の嘘にまんまと乗せられたとはいえ、それで必死になって仕事に精勤したことも評価されからである。

なんとも皮肉な話だと思うのは、私だけではあるまい。

 

組織に生きる者にとっての生き甲斐は、なんと言っても人事だ。人事は、必ずしも普遍的な基準があるわけではなく、A社にはA社の、B社にはB社の、それぞれの基準があるから、一様ではない。
これは一種の現地主義で、A社の人事基準は、A社で長年培われた結果としてできあがったものなのである。言わば「密室性」を持っているので、公開できるものではない。

そこで、それをいいことに、部下の管理に利用する上司という者がいる。この次はポストに就けてやる」「希望を言ってみろ。叶えてやるから」などと言うわけだ。そしてそれがうまくいかないと「いやあ、ゴメンゴメン、いい線までいったんだけど、最後にアイツが反対してね」と、自分の努力不足を他人のせいにし、更に「その代わり、この次はなんとかするから、我慢してくれよな」となだめる。

この手合いの常套手段であって、こういう上司の「この次」ほど当てにならないものはない。大体、人事「約束手形」を餌にして部下を釣ろうなど、管理職として情けないことこの上ない。評価できる部下がいたら、黙ってその部下を出世させればよいのだ。

しかも、この手の上司が出す手形も一枚や二枚ではないから、結局は大量の「不渡り」を出すことになる。後始末が大変なので他人のせいにするわけだ。

しかしながら、組織というのは有象無象の油断のならない連中で構成されているので、部下を黙って出世させ、一言もそのことを口にしなければ、必ず別の誰かから「あの人事は私がやった」と言い出す者が出てくる。サッと油揚げを掠うトンビである。良い人事はすべて「自分のもの」失敗した人事「他人のせい」だと言う。

こういう連中に振り回されてたまるか、と誰もが思うのだが、実際には振り回されてしまうものだ。
これが、よく言う「すまじきものは宮仕え」の一つの理由だろう。特に、その会社だけのものだから、どこにも不満の持って行きようがない。「密室性」というのは、そういう意味なのだ。