「2017年」の記事一覧(2 / 3ページ目)

社訓騒動

社訓

内藤義概(ないとうよしむね)は、陸奥磐城平藩の第三代藩主である。内藤家は三河以来の譜代で名門であり、支族は信州高遠の藩主で、その邸宅は今の新宿御苑であり、内藤新宿の名もここから発生した。 義概は文化人だった。俳人で西山宗 […]

組織改革

リストラ

天下分け目の戦、関ヶ原の合戦は、日本中の大名たちにとってまさに信賞必罰が徹底的に行われた事件であった。徳川家康の業績評価基準は明確で「味方をしなかった者はすべて敵」である。中立という立場も認めなかった。   佐 […]

優秀すぎた男

エリート

黒田孝高(くろだよしたか)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名である。戦国の三英傑に重用され筑前国福岡藩祖となる。キリシタン大名でもあった。一般には「黒田官兵衛(くろだ かんべえ)」の通称の方が有名である。 […]

トップの心を掴む作戦

エリート

前田利家と言えば織田信長に大変可愛がれ、忠臣として知られる戦国大名の一人である。「槍の又左」の異名を持つ程の槍の達人だった。幼名は犬千代。   14歳の頃に小姓として信長に仕え、青年時代になると赤母衣衆筆頭に抜 […]

情けは人の為ならず

社風

「情けは人の為ならず」という慣用句の意味についてはネットでもよく議論を見かける。一つには、「情けをかけることはその人の為にならないからすべきでない」。もう一つの意見は「人に情けをかけることは巡り巡って自分に戻ってくるから […]

情実人事を期待した男

人事異動

岡山藩主池田光政は、新太郎少将と呼ばれる名君だった。特に、部下の人事については徹底的に公正だったので、コネを使っての情実人事は全く入り込む余地が無かった。  光政には、お六という娘がいたが、このお六に乳兄妹がいた。彼は青 […]

左遷野郎Aチーム

左遷

藩政改革の成功者、上杉鷹山は江戸時代屈指の名君として知られている。右の写真は上杉鷹山像である。「成せば成る 成さねばならぬ 成さぬは人の 成さぬなりけり」とは鷹山の有名な言葉である。この鷹山の優秀なブレーンは実は元々は左 […]

左遷されて成長した男

左遷

西郷隆盛と言えば、維新の志士の一人として有名だが、彼の生涯は波乱に満ちていた。 西郷の若い頃は特に不遇で、トップである島津久光に嫌われて、なんと二回も琉球の島に流されたのだ。最初の島流しの時、彼はふてくされて「俺は鹿児島 […]

パレートの法則

管理職

藤田東湖(ふじた とうこ)と言えば、幕末の日本の青年軍を狂喜させた大変な政治的扇動者だった。いわゆる尊皇攘夷志士は、必ず東湖の著書を読んでいた。 彼は烈公と呼ばれた水戸藩主徳川斉昭の片腕として、参謀としての才覚を発揮した […]

中間管理職の青息吐息

管理職

とかく中間管理職というのはいつも上からは叩かれ、下からは突き上げられる、板挟みのような辛い役職だ。 この中間管理職という層の仕事の一つに、トップの秘書との接触がある。 報告、決済の判をもらうときの説明、あるいは自主的な情 […]

ページの先頭へ